人気ブログランキング | 話題のタグを見る
なぜ春が来ると嬉しいのか@カルミナ
我が家のバラの蕾の出てくるさまなぞ見ておりますと、今年は春が一気にやってきた雰囲気を感じます。
たぶん、桜の開花宣言からの「冷蔵」期間が程よい「春一歩手前モード」で、満開になった頃から温度帯がガラっと変わったからなのでしょう。

シューベルトの"Frülingsglaube”(「春の信仰」と訳されますが、宗教曲ではなくて春が来て世界が変わるさまをうたう歌曲です)に歌われる「世界の全てが創り上げられる」「一番遠くの、深い谷の底まで終わりなく花が咲く」なんていう言い回しを見るに、たぶんヨーロッパの春ってこうやって一気に押し寄せるんだろうなぁと想像する次第であります。

…というのはきれいな春の光景のお話。

カ○レ合宿で「当日のプログラムに挟む歌詞対訳に拙訳採用の方針」の嬉しい報せと、「あれ、オケに対訳行ってなかったの」情報を受けましたので、合宿反省は歌詞解釈語りとセットでやってみようと思ったところでございます。

が、
その前に。

トロイア戦争などのくだりについて日本人向けにかなり意訳を交えた拙「ぶっちゃけ口語訳」ですが、ほぼ全体を貫く前提なのに、あえて訳の中に書ききってないテーマがあるので、思い切って先に宣言しておきます。
#酒の席で語ったことはあるけど、シラフではあまり話した記憶がない…くらい恥ずかしいハナシです。

それは…カルミナ世界(=中世中~後期?の北ヨーロッパ)ではなぜ春が来ると嬉しいのか。
つまり、
「春が喜びを連れてくる」とか
「春の明るい面差し~→乙女たちが踊っているのは千の喜びの元」とか
「4月の世界になると立派な紳士も恋をしようと焦り出す」(←ソロ曲)とかいうイメージって、たぶん訳だけだとピンと来ないところあるんじゃないかと思うのですよね。






理由は…って何となく勿体つけてみました。
私も以前酒の席で聞いた話なので具体的な中世の風俗についての文献を確認できたわけではないのですが。


中世ヨーロッパの「おうち」には、「夫婦の寝室」というものはなかったそうです。
特に冬場は寒いので、凍えないように大家族の全員で身を寄せ合って眠っていたらしいのです。
爺ちゃん婆ちゃんも、父ちゃん母ちゃんも、子供達も。皆で寝るのが当たり前。
家の中に、夫婦のプライベートな時間も何も、あったもんじゃありません(←勝手な想像)。

と、いう訳で。
色恋沙汰の具体的な発展は、老いも若きも「春が来てから、アウトドアで」が基本だったようです。
#そういやクレマン・ジャヌカンとかのルネサンス世俗曲のCDのジャケ絵も大抵そういう感じの絵でしたな。
##↑考えてみりゃ歌詞もそんなシチュエーションばかりだわ。定番は羊飼いさん、でしょうか。

はい、これで23番男声、「冬の間は男は耐え忍ぶが、春になると楽しいことができるんだ」ってのがようやく具体性を帯びます。
前段で挙げた「春=嬉しい」「春+女の子@アウトドア=嬉しい」という数々の言い回しも大分わかりやすくなるはずです。



更にそれを前提にすると、19番の"Si puer cum puellula moraretur in cellula"という状況(昔、先輩の結婚式2次会で「日本語訳」として「もしも~、オトコとオンナが小部屋に居たら」という演奏を聴いたことがありますが、コレ、非常に正しい訳。ただし、puerとpuellulaは英語のboyとgirlな感じかも)が「尋常じゃない状況」ってことになってきます。

若い子だって、おうちに「自分の寝室」はありませんので、「俺の部屋に来ない?」とかそういう状況ではありません。
「もしも、人目に触れないシチュエーションで二人っきりになっちゃうって、どうよ?(うわー、ありえないけどすげー(反語))」というかなりのドキドキ感が入っています。
私の中での勝手なcellulaのイメージは、「中学or高校の体育倉庫」です。
…うわー、言っちゃった(ちょっと後悔)。字にするとやっぱり恥ずかしいですなぁ。

このままだと締まらないのでコメントお待ちしております。「ここここまでは訳に書いてくれないとわからん」とかのアドバイスも大歓迎です。少々手直しを入れる予定なので。
by cantotanto | 2009-04-23 00:15 | 外国語曲のことばのこと
<< 来たれっ!×3 合宿にクルマで行く愉しみ♪<後編> >>